もうずいぶん前になりますが、
7月にボールを作ることになった理由の写真が出てきたのでこれも書いてしまいます。
その理由というのは模型を持ち寄っての1045の会合でした。
参加者は三野防君、青島君、O場君、いぬごま君、MASAさんで僕以外みんな完成品を持ってきてました。(いぬごま君は会場提供により免除)
2ヶ月前の話なのでお好み焼きを焼きながら馬鹿話をしてたこと以外あまり覚えてませんが、写真は撮ってたのでみんなの完成品の話でも。
キャラ物好きのO場君はMGのクロスボーンガンダムとハセのフェイ・イェンを持ってきてました。
クロボンは手首をレジンの別売りパーツに換えたそうです。墨入れを紫でやってるのがフィギュレーションぽいなぁと思いました。
以下2枚拡大できます。


フェイ・イェンは僕も前に作ったので分かりますが、デカール貼るのにすごく手間がかかるので完成させただけでエライです。丁寧に作ってあります。

スカートの中です。
このアングルからの写真が撮りたくて何度も撮り直しました。
写真を撮ってる間、他の連中はかわいそうな人を見る目で僕を見ていました。

アオシマ君はホビーボスのFw190DとスメールのMe262を持ってきてました。262のほうは戦後チェコで生産されたCS-92仕様です。このキット、脚収容部が筒抜けだったりしますが、意外と出来がいいです。錘が足りなかったらしく尻もちついてましたが、凸モールドでもうまく作ってありました。写真がボケた物しかなくて残念です。

MASAさんはアリイ(旧オータキ)の1/48雷電でした。
スピナーが長いのとキャノピーが一一型っぽいのを除けば結構プロポーションは悪くないです。リベットラインに沿ってシャドウが入れてありました。

三野防君はドラゴンの?突G型を持ってきてました。
本人はウェザリングを失敗したといってましたがすごくよく出来てます。金属の質感がよく出ててかっこいいです。さすがにうまい。
以下3枚拡大できます。



僕のボールは機会を失したのでもう完成することはないでしょう。
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二日目は朝から雨でした。
窓から昨日とは別角度で。

朝食もおひつ攻撃を受けましたが、朝食は僕以外の3人もご飯を食べるので問題なく撃破。
また朝食も大変おいしゅうございました。
特に卵を油で揚げたものをダシで漬したものがおいしくて、おかずはこれと味噌汁だけで良いくらいでした。
朝食後にマイメロを視聴、荷物をまとめてチェックアウトです。
今日の予定、目指すは埼玉所沢の航空発祥記念館。
いけるなら練馬の自衛隊広報館がよかったのですが、場所がよくわからなかったのでわかりやすい発祥館へ。
O場君が濁った目になろうと知ったこっちゃないです。
広大な狭山茶畑を突っ切りながらヘッツァーは雨の埼玉を進撃します。
道にやや迷いながら約2時間くらいで到着。駅前のYS11に惑わされました。
建物の前にある公園にはC-46が展示してありました。入間基地総隊司令部のマークをつけてます。このC-46という輸送機はかなり古い機体で僕が生まれる前に退役してます。(1978年3月退役)

輸送機とはいえ2次大戦機なのでじっくり見て回りたかったのですが、傘を持ってきてなかったのでざっと一周した程度しか見れませんでした。
C-46はスコッチでメッサーを飛ばす話で松本零士の戦場まんがにも出てきてました。模型はプラッツがレジンで出してましたね。
呆れてる3人を無視して記念館内に入ります。
ホールにはファルマン機のレプリカが吊ってあります。でかい。
土産物屋に模型が売ってたので覗いてみると民間機ばかり売ってました。
展示は飛行の原理をアトラクションでわかりやすく説明してあったりしてじっくり見て回ると一日かかりそうなくらい楽しめそうでした。
でも見たいのは機体とエンジンだったのでそこそこにして実機展示室に向かいます。
まず目に入ったのは細長い機体のバートルでした。
1971年に退役したこの機体はヘリボーン作戦研究に陸自が調達した2機のうちの1機で、手前にはライトR-1820-103エンジンも展示してありました。

搭乗できるので機体内部に入りましたが、内部は厚手の生地で覆われて金属むき出しの部分は少なく、油の臭いに機械らしさを感じました。
表面はやたらとボコボコしており、機体の開口部には雨除けがつけてあったり、リベットラインで微妙にたわんでる事がわかったりと近くで見ると勉強になります。エンジンも触れたのでプラグコードがどうシリンダーについてるのかや、ロッドがどう支えているのかがよくわかりました。
次はイタレリでおなじみのH-19です。タミヤ箱版では海自のマーキングが再現できます。

エアからもこいつは出てましたね。
この機体も搭乗することが出来ました。エンジンハッチがあけてあり、エンジンマウントや機体側はジンクロでしたが、ハッチ裏は無塗装でした。再塗装されてるのでしょうか。
この2機を見てヘリはゴツゴツしてる印象が強いです。
モノグラムのテキサンです。
ほんとにあのキットがよく出来てることがわかります。
この機体も大戦機なのでじっくり見てました。
羽布部分が手の届くところだったので触ってみましたが確かに触ると金属じゃないことがわかります。見た目ではわかりません。

エンジンから滑油が漏れてるらしくオイルパンがカウリングの下に置いてありました。
左翼の着陸灯が2色だったのと、ピトー管の先に穴が開いてることが確認できました。管ていうくらいだから当たり前ですね。
模型では今は真鍮線と真鍮パイプで再現することが多くなりましたが、昔の作例では注射針を使っていたことを思い出します。
戦後初の純国産ジェット練習機T-1です。
ハセガワから72の古いキットがあるだけなので48の新金型で欲しいのですが、T-2がこけたみたいなので望み薄なんだろうなぁ。
前脚収納庫を見つめる三野防君とT-1です。

収納庫は無塗装なんですよね。ドロップタンクの銀色は塗装でした。
この機体は細かいステンシル類がそのまま残っていて、じっくり見てると面白い機体でした。
なんとなくF86セイバーに似てると思うのは僕だけでしょうか。
この後、タミヤのミーティアでおなじみのロールスロイス ニーンエンジン(ソ連に渡りMiG15のエンジンになった)を見たりして2階の展示に移ります。
階段の途中で吊るしてある、ハセガワ72で見慣れたHU-1を見ます。

この機体はヘリなのにあまりゴツゴツしてる印象は受けませんでした。
今も立川に行く途中の多摩川沿いの空で見ることがあります。
プレミアキットのメンターです。
ハセガワのメンターはターボメンターに金型改修されてしまい大昔のキットにもかかわらず3000円前後します。
でもターボメンターのほうがかっこいいと思いますが。
48ではチェコモデルから出てました。

色まで米軍現役のころみたいな観測機L-5Eです。
こいつも大戦機で、主に砲兵観測に使っていました。
エンジン音から日本陸軍ではアブと呼ばれてたようです。
僕はあまり好きじゃありません。

2階の片隅にある所沢メモリアルギャラリーというコーナーでようやく昭和の日本軍機に破片だけですが会えます。
ハ40(飛燕のエンジン)の残骸や呑龍の座席、隼のタイヤなどです。
仕方ないのでしょうがどうも戦時中の機体に対する扱いが悪いです。
航研機の模型は2機もあったのに日本軍機の模型は5機もありませんでした。海軍機にいたっては無し。
ここの展示で初めて知ったのが、日本機のタイヤにも製造会社が側面に大きく浮き彫りになってたことです。
ホイールの形から隼のものなのがわかります。拡大してみてください。

こちらは九八式直協偵察機の尾輪です。拡大できます。

32クラスだと再現できそうです。
モノグラムのBf110は48なのにタイヤの刻印を再現してました。
他にも一般には非公開の格納庫があるようですが、収蔵品に火星が。
火星は主に海軍機に搭載されたエンジンで一式陸攻や二式大艇、冷却ファンを追加して雷電に装備されていました。見たいなぁ。
2時間ほど楽しい時間をすごした後、濁った目で「空中分解」とうわ言を浮かべるO場君を連れて今度は南の神奈川県相模原を目指します。
MASAさんは嫌がりましたがタムへ行くのです。
去年と同じくこの合宿は模型を買って締めなのです。
タム帰りに道に迷ったりもしましたが、何とか無事に帰りつくことが出来、天一で食事の後、8時ごろを持って解散となりました。
今回の合宿は山登りという体育会系的なイベントもありましたが、前回に劣らず楽しむことが出来ました。
長距離の運転を引き受けてくれたMASAさんのおかげでもあります。ありがたいことです。
次回は鎌倉方面とのことなので山登りはないとして、横須賀に三笠見物かな。
脚の痛みから回復したので奥多摩での合宿の詳細でも。
今回の参加者は去年より1名増えて4名。
合宿主催者兼運転手のMASAさんと三野防君、今年から参加のO場君それと僕で、18日の朝7時にMASAさん所有の軽自動車に成年男子4名を押し込め立川を出発。
この軽自動車がいろんな意味でヘッツァーの様なかわいらしい車で、車内容積に1立方センチの余裕もなく、もちろん軽なので坂ではエンジンが悲鳴を上げていました。でもそこはドイツ戦車兵精神でがんばりぬきました。
またMASAさんが田舎のすいてる道に入ると飛ばすので(法定速度の○倍出すのはやめて)、事故即昇天火葬つきの走る棺桶と化しながらアニソンをBGMに奥多摩めざし爆走していったのでした。
最初の目的地はどういうわけか御嶽山。山登りです。
MASAさんの強い希望で取り入れられた登山でしたが、いくら登山道が舗装されてたとしても日ごろ不摂生な生活を送って体力のないクソオタの僕らにはハードすぎ、何度もレールカーでの登山を進言しましたがそのたび却下。

下りはレールカーでしたが重戦車である僕は山頂に付くころにはすっかりサスペンションがへたっていました。
登山道の途中には所々に謎な木の杭が立っており、呪文が書き付けてありました。
なんだくろもんて。

朝早かったためか登ってるのは僕らとお年寄りグループが2,3程度で、登山者を見るより資材運搬の車を見るほうが多かったです。
やたらと車が通るので不思議に思ってましたが山頂は小さな町のようになっており、いつまでたっても神社とやらに着きません。
民家の庭先に大根が干してありました。
沢庵にするんでしょう。実家のほうみたい。

神社は石段を登りきったところにあり、石段の両サイドには建立時の献金者名と思われる石碑が延々と立ってます。参拝者の中にも結構関係者がいるようで石碑の裏の名前を確認してました。

僕とMASAさんは石碑の列の中に忠魂碑(日露戦争時)を見つけたので他の二人より遅く登ってたのですが、三野防君とO場君は登りきった所のベンチで休んでました。

山頂で絵馬を奉納し、御籤を引きました。
あんまりいいことが書いてありません。

賽銭箱に10円放り込み参拝した後、平安期の大鎧があるという宝物殿を制圧してから下山しました。鎧とか歴史に興味のないO場君は死んだ魚のような目をしていました。

下山後、MASAさんの薦める蕎麦屋で昼食をとり、小河内ダムへ向かいます。MASAさんは酒蔵へ行く予定だったようですが、死んだ魚の目をしているO場君に大量のテントウムシを見せたかったのでダムに変更しました。
残念ながら去年のようにテントウムシは大量発生しておらず、紅葉も去年に比べるとやや色付きが悪いようでした。

ダムの湖面は去年と変わらず、係留してあったボロ船がなくなってたくらいでした。沈んだのかな。
ぼんやり湖面を眺めているとダムバスターやスカイレイダーがゲートを破壊しに飛んでくるのが見えるようでした。

僕以外の面子を後ろから。白い上着がMASAさん、カーキが三野防君、黒がO場君。

この後は鳩ノ巣渓谷にある宿へ。
去年と同じ一心亭という旅館に泊まります。旅館の女将さんは話すと去年のことを覚えていたようです。それがよくなかった…。
部屋まで去年と同じで、去年は宿の隣に流れる川で遊んでたのですが、午前の登山が効いていたので行動不能に。
筋肉痛で脚が痛いんですよ。
部屋からの紅葉はきれいでした。

ちゃんと模型を完成させていた三野防君の某誌掲載予定品とマゼラアタック、途中状態のMASAさんの疾風を肴に夕食までだべり、問題の夕食へ。
最初に言っておきますが、ここの料理はすごくおいしいものです。サービスも悪くないです。悪いのは僕です。
最初に並んでる料理です。この後もどんどん料理は出てきます。

山の中の旅館らしく、鯉や鹿、なまずといった普段食べないものを出してくれます。
この後に来た料理は、なまずのてんぷら、山女の塩焼き、鯉のあら汁、鹿のステーキ、鮭の蒸し物、主食にご飯か蕎麦が選べ、蕎麦を選ぶと太目のここオリジナルの蕎麦が出ます。そしてデザートにりんごで締めです。どれも本当においしいです。
ただ…、女将さんが去年のことを覚えてたらしく、僕用にご飯を「おひつ」で持ってきてくれます。山盛りで。
僕は去年泊まった時に馬鹿みたいにご飯のお替りをしてたため、今回は大量に炊いたようで、「たくさん食べてね」とのこと。
おひつ一杯軽く4合くらいあります。
何とか撃破した後、やめれば良いのに馬鹿食いを期待されてると勘違いした僕はお替りを所望。おひつ「半分」でと頼みました。
満杯で来ました。
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給食を残して掃除時間まで延長戦を戦ってる気分を味わいましたが、三野防君に茶碗一杯分食べてもらいおひつを空にすることが出来ました。
逆流一歩前だったのでりんごは部屋に持ち帰るということで一人大食い大会は終了しました。
6合は食べました。
死にました。
部屋ではしばらく死んでましたが、回復すると模型談義です。
現役模型店店員のO場君にB社の極悪非道振りを聞いてはひとしきり憤慨し、三野防君に雑誌ライターの消息を聞いてはそうだったのかと感心しとなかなか濃い話を聞くことが出来ました。
1時過ぎごろ明日もあるからと就寝。
で、2日目は次回にと。