作っているものの背景がよくわからないとだんだん気力がなえてくるので、フィンランドが使ったJu88についてググってみました。
しかし日本語のサイトにはほとんど詳しい話はなし。
しかたないので「finish air force Ju 88」で検索して一個目の
英語版Wiki にフィンランド空軍が使用した機体についての記述がありました。
翻訳サイトを使いつつ読むと、
継続戦争中のフィンランドは、1943年4月にドイツから中古のJu88A-4を24機購入。
ブレニム装備の第44連隊がJu88に機種改編し、ブレニムは第42連隊へ。
43年のほとんどは乗組員を訓練するために使用され、一握りの爆撃任務だけ行われた。
43年夏に主翼上に急降下爆撃によるストレスで破損している箇所が見つかったため、ダイブブレーキを撤去し、降下角度を45度に制限して運用した。
顕著な任務の1つは、Ju88を含むフィンランド空軍機による、1944年3月9日のサンクト・ペテルスブルク近郊のソビエト長距離爆撃機基地に対する空襲である。
エストニアのタリン夜間爆撃から戻るソ連の爆撃機を追尾して奇襲に成功、多くの爆撃機、予備の燃料を破壊した。
44年3月22日にPetsnajokiのアエロサンの基地を再び攻撃した。
爆撃機連隊は、ソ連が行った4次にわたる大攻勢に対する防戦に参加した。
すべての航空機が昼も夜も天候が許す限り一日に複数回出撃した。
第44連隊はラップランド戦争の間、Lentoryhma Sarkoの指揮下に置かれ、Ju88は偵察と爆撃に使用された。
目標の多くは車列だった。 また、偵察飛行はノルウェー北部にわたって行われた。
戦争での最後の飛行任務は1945年4月4日であった。
戦後はパリ講和条約(フィンランド平和条約)により爆撃兵装を持つ航空機の保有が禁止されたため、1948年まで訓練に使用され、1949年に全機廃棄された。
レンドリース船団攻撃はやってないっぽいです。
航法や対艦攻撃法を教える余裕がなかったんでしょうか。
フィンランドは爆撃機戦力がまったくダメだったようなので、支援機材も何もかもない状況では教えても実施不能だったのかもしれませんね。
これで新たにわかった模型に反映できる点は、フィンランドのJu88A-4はダイブブレーキを撤去していたってことです。
45度の降下角制限から緩降下爆撃を主戦法にしていたようです。写真も何点かみつけて、MGFFを撤去している機体もありました。
ダイブブレーキを撤去しているのもこれで確認できました。この機体もMGFFをはずしてます。
他にも
引き渡されたJu88のW.Nr.とコードを調べているサイト もありました。トップは
こちら 。
濃い人はとことん濃いのがこの趣味の面白いところです。
上記の中に出てくるアエロサンというのはNKL-26というソ連のスノーモービルです。ちょっと前にプラモ出ましたし、パンフロにもでてきてましたねこれ。
なんとなくボトムズに出てきた宇宙揚陸艇に似てます。
緩降下爆撃については
ここ がわかりやすいです。
あと前回のエントリーで書いた座席についてですが、あの頭までくるむような形の座席(防弾鋼板製らしい)はA-4の途中から採用されていたため使っても問題ありませんでした。夜戦用ではありません。MA別冊を確認していて気づきました。ごめんなさい。
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