実家の物置をあさると中高生の頃に作ってた完成品が出てきました。

もうこの頃から飛行機ばっかり。キャラ物はMGザクと光武くらいしか完成しなかったような気が。
完成品は模型屋に展示に出したり人にあげたり破壊されたりしたので、ここに残っているのは作ったうちの半分もないです。
WLシリーズで俺艦隊も編成していたのですが、残らず沈没除籍となってしまっているのでした。
記念すべきちゃんとしたエアブラシ(オリンポスのPC101。ノズルをねじ切り大破)第一号はハセガワの飛燕でしたが、現存しないのでコンプレッサー(タミヤのHGコンプ。音がうるさく歩行機能があった)購入後の第一作目のタミヤFw190Dです。

この中ではこれが一番古く、たしか95年頃に作ったものでまともにデカールが貼れてないです。
コンプレッサーを入手して一番うれしかったのは、エアブラシのうがいでボンベのエア残量を気にしなくてよくなったことでした。またボンベでよくおきた塗ってる途中での圧力低下や夏場でも凍る缶からも解放されました。
今はもう存在しませんが、96年にTOKYO HOBBY FRONTIER CARAVANというイベントが博多で開催され、当時中学生だった僕も初めて身近に起きた模型イベントとして喜び勇んで参加しました。
簡単にいうとガレキメーカーの地方即売会的なイベントでしたが、ガレージキットなる物が模型雑誌の中にしか存在しないものだったので、えらく楽しみにしていたのを覚えております。
上記のイベントのパンフも発掘してきました。

このイベントで、MAX渡辺や波佐本英生、山田卓司、金子辰也等の有名人を間近で見ることができ、当時の模型少年は大感激でした。
会場ではさんざん悩んで、ボークスの1/100オージェ・アルスキュルを購入。ウェーブのL.E.Dミラージュのブーメランユニットとどちらにするか相当迷いました。
このイベントでよく覚えているのが、海洋堂の宮脇専務が「地方の人は金の使い方がせこい。せっかく九州まで来たんだからもっとどかっと買ってくれないと困る。」という様な内容のお話をして場が凍りついていたことです。
今になって思い返すとらしいなぁと納得してしまいます。
このTHFCではイベント内模型コンテストがあり、それ用に作ったのがこれです。
ニチモの九五式中錬を特攻機仕様に改造したもので、後部教官席に航続距離延伸用にドラム缶を積んでいます。

模型コンテストに赤とんぼの特攻機を選ぶとは嫌な中学生です。
会場では各作品ごとに一言づつ寸評が加えられていったのですが、中学生が赤とんぼを作ってきたというのが面白かったらしく、MAXに前に出てくるように言われました。
僕はそのとき急に恥ずかしくなって結局前には出なかったのですが、金子辰也が胴体後部の色ハゲをほめてくれました。
缶スプレーと筆で仕上げた銀河。なぜ缶スプレーでやったのかは謎。
黄色い極光として仕上げるのが嫌で銀河16型として完成。

旋廻機銃をあけたりと手を入れてるものの仕上げが荒いです。
高校の終わりごろ仕上げたタミヤの紫電。
退色表現に入れ込みだした頃で、濃緑色にタンを加えすぎ陸軍機っぽい色になってます。

この頃はデカールを密着させて貼ることを知らないのでシルバリングがでまくってます。
ツヤを統一することに気を使い出すのもまだ先の話です。